書く、話す

春嵐氏(と、今後彼のことをそう呼ぶことにしよう)と出入口での予想外のニアミスで、いってらっしゃいの言葉もなんだか詰まって出てしまった。通り過ぎた後に振り返った気配があったような気がしながら、そのまま職場に入った。


話す言葉が近年どうにもうまく出てこない。噛む、他のことを挟んでしまって話の輪郭がぼやける。雑談する時間が来ると脳内は話題をのみこみ、更に提供できるものがないか探すのに必死になる。昔はここまで苦手意識はなかったような気がするのだが、もう勤め始めて6年も経つのでだんだんそれ以前の記憶は曖昧になってきている。

同じ作業をしているはずなのに、書いている分には比較的するりと言葉が出る。言葉も選べる。書き直せる。書きたいことを決めて、つないで、書いていける。2000字ぐらいなら、割と楽に書いてしまえる。このあたりはよく本を読ませてくれた祖父達や母に、あるいは(読んでいて面白いかは別として)文章を書くということに抵抗のない父に感謝せねばならないのかもしれない。

書くよりも話すほうが、言葉の消費され方やその勢いからして貯金も反射神経も要求されるような気がする。論理を崩さない緻密さと意志の強さも。文章のように書きなおしができないので冗長になってからでは遅いのだ。
個人的にはどう考えても話すほうが難しいのだが、書くほうが難しいという人に一度どう難しいのかということを聞いてみたい。

あとは平常心であろう。週も半分きて、少しそわそわし始めているところのニアミスであった。要するに動揺したのである。

もう少し落ち着いた、腰の据わった人間になりたい。