最期まで美しく、簡素に

事故証明を取りに行った帰り、多磨霊園をぶらりと散歩した。今日は晴れて日差しは強いが、木陰に入るといい風が吹いており大変気持ちがいい。
初めて訪れたのだが、その名前を耳に挟む程度には大きな霊園である。縦に突っ切っても1km以上あるところに、少し遠回りをしてしまったのでおそらく駅まで都合3kmぐらいは歩いたはずだ。

あまり中に入り込んで眠る人々の邪魔をする趣味はないので、大きくブロック分けしている主要な通り沿いを歩く。そういった通り沿いの区画はいい区画なのか、敷地も縦5m横3mぐらいと大きめで、立派な墓石が建っていることが多かった。大学病院の慰霊碑等も見受けられ、時折頭を下げつつも、ちょっとした「お宅探訪」気分で軒先というか、墓前を失礼する。

見上げるような大きい碑あり、閉ざされた門扉あり、敷地の中に茂る木々ありと個性あふれる墓の中で、ひときわ心惹かれたのが広い敷地の中にただ何かしら言葉が墨書きされた、角材サイズの四角柱のみぽつりと立っている墓所であった。他には何もない。放置されているのか、少し草が生えていた。

いつ死ぬかはわからないけれど、延々病と付き合って死ぬよりもあっさり死んだほうが幸せだと思うし、そういったさっぱりとした終わり方をするのであればその後のことも簡素にしてほしい。漠然と、そんな風に思っている私は、墓所をこういう形式にしようと決めた人の趣味を讃えたいと思った。石も土地も無限ではないのだし、こういうのもありなんじゃないだろうか。


でもまあ、先にあれだ。簡素に、美に至るまでに、懸命に生きなければなるまい。そう思いながら、多磨霊園を後にした。