まだ生きていたと驚いた(このブログが)

何の気なしにgmailを整理していたところ、自分の名前をマウスオーバーするとバルーンが出ることに気づいた。メールアドレス……だけかと思えば「スキモノ」と出ている。昔のブログか!
懐かしい気持ちでいくつか記事をさかのぼった。2012年だからもう7年前になる。チョコレートを買っているこれでどういう時期だったかうっすら思い出してきた。SEになるかならないか、ぐらい、某グループの立会いに行った頃だ。あれから組織の再編などでその時一緒だった人たちと同じチームになることなど考えても見なかった。

またしばらく気が向いたときに書いていくつもりだが、セーブポイント代わりに以前書いていなかったことと近況を書いておこうと思う。

新卒で就職した会社は2010年秋ごろ業績が悪化し紆余曲折の果てにフリーランスになった。フリーランスと言っても契約先が変わっただけで行っている現場も仕事内容もあまり変わらない。年とともに多少のふてぶてしさは身について、この1月で名刺の肩書がプロジェクトマネージャーにはなった(ただしこれは多分に現在の上司の真面目に悪乗りする気質が影響している)。

結婚はしていない。しようとしたこともあったし、今もしたいようなしたくないような、といったところだ。誰かとともにいる喜びは味わいたいが妻や母といった役割を心身健やかにこなせる自信がない。
定期的にセックスする関係の人はいて敬意と愛情を持って接しているつもりで、向こうも多少は大事にはしてくれている気配はするが、互いに踏み込みすぎないようにしている節はある。週末、時々だけの関係である。と書いて現状とても満たされているとは言い難いと気づいたので、これはなんとかしていこうと思う。

あとは肥えた。ここ2年ほどで10kg、しっかり脂肪がついた。腹部と臀部がまずいので目下少しずつ生活改善中である。つい先程座りっぱなしだったので楽しい動きでもしてみるか、と片足ではねたときの身体の重さに愕然とした。がんばる。

また、高校ぐらいまでのOTQ熱が再燃して去年ギリギリアラサーにしてはじめての同人誌を出しイベントに参加した。Fate Grand/Order(FGO)から剣豪・柳生但馬守宗矩にドはまりしている。昨年の秋から月1柳生詣でをしておりまだしばらく熱は続くものと思われる。かつてはAndroidだったスマホiPhoneになり、主にFGOと今は(今更)刀剣乱舞を絶賛プレイ中。FGOはちょっとリアルマネーをつぎ込み過ぎているのでもう少し控えたい。

ざっくりこんなところだろうか。あとはいい感じで使えていたinstagramのフレーム効果がなくなってしまったようで、サムネイルにつける画像をどうつけるか悩んだ(instantsというアプリが優秀だった)。BloggerのアプリもiPhone用のものがなくなっているようで今はMacBookAirでほぼほぼ書いて写真のためだけにiPhoneから投稿している。

またぼちぼち書いて、休んで、時折振り返りに来ようと思う。







読書生活、幾度目か

引っ越して、久しぶりに電車に毎日乗るようになった。住んでいるところから職場までは下り電車なので、のどかなものである。コーヒーを持ち込み、最初のうちはぼんやり毎日音楽を聞いて通勤していた。本を読めばいいということに気づくまで一週間ぐらいかかった。習慣的に読むようになるまで、さらに一週間。すっかり移動中に読むくせがなくなっていてびっくりした。

朝から本を読むというのは、朝からゆっくり聞きたい人の話を聞く、ということに近い。時間は限られているが、嫌いなら読まなければいいし割り込みで仕事が入って遮られることもない。するすると頭に言葉が入るのは快感ですらある。

割と読むのは早い方なのだが、ショーペンハウアーの『幸福について 人生論』は読み始めて一週間は経つがまだ1/5程である。読み応えがあるし、朝から風刺のきいた筆致で何が幸福かを語られるのは結構面白い。くたびれた帰りの脳には向かないけれど…。

電子書籍も考えてみたが、携帯端末の電池の減りや目へのダメージ、そして本の手触りを考えると、やっぱり文庫か新書かな、というところに落ち着いた。コーヒーは相変わらず持っているから、ハードカバーは読むのに苦しいし持ち歩くには少し重い。若い頃は荷物の重さに頓着せずに借りては読む生活を送っていたが、今はどちらかというと身軽さを取るようになった。月日がたったのだな、と思い楽しくなった。

夏草、夕立、土の匂い

引っ越してからは多摩川を歩いて渡ることはなくなったのが、今日は駅前の銀行に用事があってぶらりと橋を渡ることになった。夕暮れ時だが、あいにく重い雲がかかっていて夕焼けは望めそうにない。そういえば天気予報でも雨が降るかもしれないというようなことが書かれていた。


しかし、雨の匂いはしない。草と、土の力強い夏の匂いばかりが風に乗って渡ってくる。

夏は照り返しがひどく汗まみれになり、冬は路面が凍りとなかなか気候に対しては厳しい環境をつくりだしてくれる橋だったが、過ぎ去ってみると折々に川辺の景色を楽しませてくれていたことに気づく。今は、森や近隣の民家の花で季節を知る。どちらかに甲乙つけるような話ではないのだが、なんとなく感傷的になる。

銀行に行った後は電車を乗り継いで帰るつもりが、そんなことに思いを馳せている途中で傘を会社に忘れたことに気がついたものだから仕方なく来た道を引き返した。雨の匂いはせず、結局、雨は降らなかった。


書く、話す

春嵐氏(と、今後彼のことをそう呼ぶことにしよう)と出入口での予想外のニアミスで、いってらっしゃいの言葉もなんだか詰まって出てしまった。通り過ぎた後に振り返った気配があったような気がしながら、そのまま職場に入った。


話す言葉が近年どうにもうまく出てこない。噛む、他のことを挟んでしまって話の輪郭がぼやける。雑談する時間が来ると脳内は話題をのみこみ、更に提供できるものがないか探すのに必死になる。昔はここまで苦手意識はなかったような気がするのだが、もう勤め始めて6年も経つのでだんだんそれ以前の記憶は曖昧になってきている。

同じ作業をしているはずなのに、書いている分には比較的するりと言葉が出る。言葉も選べる。書き直せる。書きたいことを決めて、つないで、書いていける。2000字ぐらいなら、割と楽に書いてしまえる。このあたりはよく本を読ませてくれた祖父達や母に、あるいは(読んでいて面白いかは別として)文章を書くということに抵抗のない父に感謝せねばならないのかもしれない。

書くよりも話すほうが、言葉の消費され方やその勢いからして貯金も反射神経も要求されるような気がする。論理を崩さない緻密さと意志の強さも。文章のように書きなおしができないので冗長になってからでは遅いのだ。
個人的にはどう考えても話すほうが難しいのだが、書くほうが難しいという人に一度どう難しいのかということを聞いてみたい。

あとは平常心であろう。週も半分きて、少しそわそわし始めているところのニアミスであった。要するに動揺したのである。

もう少し落ち着いた、腰の据わった人間になりたい。

最期まで美しく、簡素に

事故証明を取りに行った帰り、多磨霊園をぶらりと散歩した。今日は晴れて日差しは強いが、木陰に入るといい風が吹いており大変気持ちがいい。
初めて訪れたのだが、その名前を耳に挟む程度には大きな霊園である。縦に突っ切っても1km以上あるところに、少し遠回りをしてしまったのでおそらく駅まで都合3kmぐらいは歩いたはずだ。

あまり中に入り込んで眠る人々の邪魔をする趣味はないので、大きくブロック分けしている主要な通り沿いを歩く。そういった通り沿いの区画はいい区画なのか、敷地も縦5m横3mぐらいと大きめで、立派な墓石が建っていることが多かった。大学病院の慰霊碑等も見受けられ、時折頭を下げつつも、ちょっとした「お宅探訪」気分で軒先というか、墓前を失礼する。

見上げるような大きい碑あり、閉ざされた門扉あり、敷地の中に茂る木々ありと個性あふれる墓の中で、ひときわ心惹かれたのが広い敷地の中にただ何かしら言葉が墨書きされた、角材サイズの四角柱のみぽつりと立っている墓所であった。他には何もない。放置されているのか、少し草が生えていた。

いつ死ぬかはわからないけれど、延々病と付き合って死ぬよりもあっさり死んだほうが幸せだと思うし、そういったさっぱりとした終わり方をするのであればその後のことも簡素にしてほしい。漠然と、そんな風に思っている私は、墓所をこういう形式にしようと決めた人の趣味を讃えたいと思った。石も土地も無限ではないのだし、こういうのもありなんじゃないだろうか。


でもまあ、先にあれだ。簡素に、美に至るまでに、懸命に生きなければなるまい。そう思いながら、多磨霊園を後にした。


「鹿のおっぱい」

こんばんは。ぶらり旅大好き、タニモトです


昨日もちらりと書いた通り、牡蠣食いたい!と今月の9日10日と広島に旅立って参りました。初日から牡蠣!もみま(もみじまんじゅうの略)!お好み焼き!!という合わせ技で満腹満足な旅。4月に青山の外れでレバ刺しを食しながら酔いどれた勢いで一緒に行く事を決めて下さったえこさんことマツナガエイコさんにも深く深く感謝であります(えこさん、写真はもうちょっと待って…)。

さて、旅行というと浮かれ気分で余計なものを買ってしまいがちですが、今回は割と上手に買い物できたと自負しております。もみじまんじゅう、宮島ビール、ギャラリーROUTOさんで購入した前田彰子さんの硝子の器。おやつに、おみやげに、日常にと、それぞれ大活躍してくれました。

ところがひとり、半月近くたった今も売れ残っていたかわいそうな子がひとつ。

その名も、「鹿のおっぱい」。写真はこちら。





この半月、この子を見る度に「はしゃぎすぎた…」と反省し通しでした。だって!この!乳首具合…うっかり会社に持って行ったら嫌がらせかと物議を醸さざるを得ない勢いです。何故買ったし。

宮島で弥山に登った後、宮島ビール3種のミニセットにすっかり赤くなり、更に揚げもみじまんじゅうも食して美味しさ大満足でふわふわとしておりました。
そんな中、行きに気になっていた雑貨店、ひぐらしさんを覗いてみることに。えこさんが手ぬぐいにするかぽち袋にするか迷う中、タニモトはこのお菓子を発見します。
「こ れ し か な い … !」
これを酔った勢いと言わずして何と言いましょう。

食べることを躊躇しつつもずっと気になっていたのですが、見た目に負けてずっと手を付けられずにいました。しかし、賞味期限が今月中だと気づき、遂に本日開封。まずはおひとつ…と食べてみると、これが美味しくてやめられない!
ココナッツの香りのするメレンゲの焼き菓子なのですが、乳首のところがほんのり苺味で食べるとふんわり優しく混ざってとても美味しいのです。食べる前のためらいはどこへやら、あっという間になくなりました。

おみやげ物のインパクトとしては大成功ですし、タニモト的21世紀の宮島名菓だと思います。是非、見た目に怯まずお買い上げして食べて頂きたい!6つぐらい入って525円です。

ひぐらしさんの入っているお宿のブログでも紹介されていたので貼っておきますね。
鹿のおっぱい|蔵宿いろは