『親鸞』を読んで働くことについて考えてみた






仕事でお世話になっている方達が『親鸞』文庫版を差し入れてくれました。
おおう…信仰伝記か…と、しばらく食手が伸びなかったのですが、読みはじめたら「これって…社会に生きるひとは、みんな親鸞と同じ苦悩を抱えとるんちゃうのん?」と止まらなくなり一気読みしてしまいました。

少し恣意的にエピソードをピックアップしたあらすじ
色々あって出家することになった親鸞は生来の生真面目さを生かして修行に励むのですが、そのうち「仏とは何か?」という問題に突き当たります。当時の学び舎とも言うべき寺院で弟弟子や師匠この問題について語るも満足のいく答えを得られなかった親鸞はまず環境を変えました。衣食の保証されていた寺を出て野に出ます。
幸いにして、「この人こそ…!」という師匠の元に通って日々を暮らし、様々な人々と交わる中で友や妻を得ます。
しかし、信仰拡大を狙ったトラブルに巻き込まれた結果流罪決定。それでもめげずに新たな地で頑張るぞ、と決意するところで物語は区切りを迎えます。

この構図、現代式に置き換えると
スキルを積むも会社なり仕事内容なりに疑問を持ち退社。
しばらく新たな職を探し、なんとか魅力的な仕事なり師匠なりをみつけて再就職。仲間に恵まれ研鑽したり、結婚して家庭を持ったりしました。
しかしトラブルがあって会社が倒産、あるいは師匠が退職、それでも私の道を進む!と決めた××歳の秋…。

家事担当の方はそれぞれ適宜環境を読み替えていただければと思いますが、どうでしょう。結構ありがちな話になってきていませんか?

働くこと、悩むこと
自分の働きどころというのは、きっといくつになっても悩ましいものなのではないかと思います。このまま主婦業だけ続けていていいんだろうか、とか、就職できるんだろうか、とか。
個人的にも、同じポジションに一定年数いたり、先輩の姿が追えるようになってくるとこういう疑問が噴出してきます。

誰の元で学び、どうやって自分の求めているものを探していくか。

さっくりあらすじを述べた親鸞ですが、彼の場合一喜一憂しつつずーっと悩んでいます。その悩み具合、他にもエピソードがあるにしても先ほどのあらすじが上下巻になる勢い!
それぐらい悩みながらも進めていかないと答えなんて出ないし、出したところでうまくいくとは限らない。だけども「次また頑張ろう」とは、悩みながらも行動していかないとなかなか思えないものです。そういやそうだよなー、と思いながら下巻を閉じた『親鸞』。
私事で恐縮ですが、今ちょっと仕事で壁にぶつかっておるので身につまされました。

なんというか教訓くさい読み方をしてしまいましたが、うにうに悩む主人公が好きな人にはかなりオススメの一作です。

それにしても、なんでこのチョイスで差し入れしてくれたんだろう…謎だわ…。