ラーメン

 先日の「半熟たまごサンド」は無事土曜日の朝ありついた。待ちわびた味に「こんなに手をかけていないのに口から虹出したりしたら味王に怒られるかしら…」などと思いながらあっという間に平らげてしまった。またちょっと食べたくなっているので明日の朝作ろうと思う。

 数少ない友人であるともぞうの家を尋ねたのはまだ寒い頃のことだった。実家を東京から京都にうつすから何かいるものがあればあげるよ、というありがたい申し出に、じゃあ丼あったらおくれとお願いしていたのである。うちにあるのはチキンラーメンのおまけについてきていたひよこちゃん丼(蓋つき)だけで、丼ものを作るには少し心もとない深さだったのだ。やはり親子丼やうどん、そばを食べるには少し深めの丼で頂きたかった。
 その夜は高幡不動でともぞうと落ち合い、駅の大戸屋でデザートまで堪能した後にお邪魔した。いつもにこやかなお母様が色々あるからお好きなだけ持って行ってね、と出迎えてくださる。そうして小皿、湯飲み、ゴブレット等々選んでいるうちに、ともぞうが
「ねーさん、丼」
と出してくれたのは、赤い縁取り、龍の柄。口の大きい、見事なまでのラーメン丼だった。
 これに親子丼やうどんは盛れない。ラーメン専用…いや、炒飯ぐらいはいけるか…?
 一瞬の葛藤はあったものの、確かに丼は丼である。中華っぽい皿も持っていなかったこともあり、ありがたく頂いて帰ることにしたのだった。

 このサイズの丼をあまり持ったことがない。それはほとんどラーメンを外食したことがない、ということでもある。蓬莱や王将に行けば餃子と炒飯にするし、ラーメンの他にそばやうどんがあればそちらを選ぶ。巷がラーメンブームに沸こうとまったく関係のない人生を送ってきたのだった。たまに誘われて有名店にはいったりもするが、どうにもラーメンに対する舌は磨かれていないらしく「普通に美味しい」の域を出ないしスープの味もあまり覚えられない。
 それでも間違いなく美味しかったのは博多の中州で食べたラーメン(屋台の名前が分からないがバス停から一番奥の方右手にあった)、珍しくラーメンを食べる気になったときは桂花、思い出のラーメンはスガキヤ、といった風情で浮かんでくる。私のような外食ラーメンと縁の薄い人間でさえもとりあえず名前が浮かぶ店があると言うあたりがラーメンのすごさなのかもしれない。
 先に挙げたところ以外でラーメンを食べるときは、懐が許す限り煮たまごをトッピングしておく。そっちに目が行ってしまうことがスープの味に感動が薄い理由の一つである気がするけれど、あの濃厚な味ととろみがたまらなく好きなのだ。また、とりあえずどこの店でも大体はずれがない。チャーシューよりは安価にタンパク質がとれる。実に優秀な奴である。本当は3つぐらい乗せていただきたいけれど、注文したら絶対店で話題になること必至なので未だチャレンジできていない。チャーシューメンやメンマラーメンはあるのに…どこか煮たまごラーメンと称して商品開発してくれないだろうか…それこそ家で好きなだけ乗せろ、という話なのだろうか…。

 丼をもらった翌日、煮たまごは作っていなかったもののせっかく丼をもらったこと、以前にともぞうがラーメンのいい食べ方を教えていてくれたこともあったので、早速ラーメンにした。
 いい食べ方というのは単純で野菜炒めをのせること、生麺を使うことの2点だけ。ラーメンだと野菜が採りにくいという先入観に縛られ、またインスタント麺が後ろめたかった私には十分目から鱗だった。父はスープと一緒に野菜をよく煮ていたが、どうもくったりしすぎて好きになれなかったのだ。
 3食198円のラーメンはみそ味、そこに教わった通り野菜を炒めて乗せる。余りがちだった人参や白葱、なぜか買ってあったスナップえんどうと適当に炒める。予想外に彩りよくなった。さらに煮たまごのかわりに生卵も乗せた。この間5分強。早い、安い、旨い。
 はふはふと一人麺をすすりながら、ともぞうと約束している温泉旅行のことを考えた。道すがら、家ラーメンの話で盛り上がるような予感がした。