コーヒー

 朝はソイラテ派である。
 ソイラテと気取って書いたものの、作り方はかなり適当だ。インスタントコーヒーをティースプーンに山盛り1杯、三温糖を小さじ1杯、愛用のモスグリーンのマグカップ半分にお湯を注いだら同じ量だけ豆乳も注ぐ。こだわりは普通の上白糖ではないところと豆乳は無調整のものを使用しているところぐらいで、コーヒーに対しては全くない。だから恐れ多くてカフェラテだとかカフェソイラテだとか呼べやしない。
 朝食をとろうととるまいと、とりあえず時計が8時を過ぎた頃にソイラテを作る。ぐびり、と飲み干すと、嫌々ながらもとりあえず仕事行くか、という気分になる。
 もう一つ白状する。朝は、と書いたものの、よく考えるとほとんどブラックで飲んだ試しがない。昼間飲むにしても9割9分朝と同じく糖分と豆乳を入れる。入れられないときは勧められたとき以外飲まない。

 何も入れないときは、コーヒーのほろ苦さを既に抱えてしまっているときだ。そんな時だけはもう少しきちんとしてドリップ式のパックを使う。帰宅したらまず電気ポットで湯を沸かして、そのまま、帰省する度に母が適当にジップロックに詰めて持たせてくれるブルックスのヨーロピアブレンドをかさかさと開ける。蒸らして、落として、もう日も暮れるので少し薄めに作る。香りを吸い込んで、暮れかける空を思う。電気もつけず、子供の声や車の音を聞いて、ただ世界が回ってるんだな、とぼんやり思いながら一口啜る。マグカップ一杯飲む頃にはもうコーヒーも冷めて真っ暗になっているけれど、なぜか少しほろ苦さが収まっている。ぐいと飲み込んでしまっているのか、それとも薄めているのかは分からない。
 思えば初めてコーヒーを飲んだときも私は落ち込んでいた。小学生の時、何があったかあるいは何もなかったかは覚えていないけれどしんみりしていた。何か飲み物が欲しくなって、「そうだ、こういうときはきっとコーヒーを飲むものだ」とはじめて作って、ブラックのまま飲んだのだった。きっと、大人のふりをしたい年頃だったのだろう。
 それからもう20年近く経っているが、相変わらずしんみりするとブラックコーヒーを入れている。難しいことをした記憶がないので、多分このときはインスタントコーヒーだったと思うからそこだけは進歩したのかもしれない。しかしその程度である。

 コーヒーについては万事そんな調子なので、まともに豆を挽いたところから作るような上等なコーヒーは飲んだことがないように思う。小さい頃は母がポットにフィルターをセットしてコーヒーを入れていたのは覚えているが、豆は既に挽いてあったもので問屋で大きな缶を買っていた気がする。高校時代の寄り道はせいぜいサイゼリヤだったし、大学生になって喫茶店にちょくちょく通うようになってもコーヒーの美味しさより禁煙席の有無やくつろげる雰囲気かどうかで選んでいた。紅茶のおいしい喫茶店は探してもコーヒーの美味しい喫茶店は探さなかった。せいぜい頑張ってスターバックスであるが、それも定番は「トールキャラメルマキアート」で結局甘い方へ寄ってしまう。 

 この糖分+乳分の定番コンボは、やはり実家が起源なのだと思う。母のつくるカフェオレの味は、ほっとほろ苦く、甘い。きちんとコーヒーと牛乳の味がする。甘さでゆっくりと思考が動き出す。結局、あの味が欲しくて自分でも外に行ってもつい同じようなメニューを頼んでしまうけれど、あの優しさにはみんなたどり着けないのだった。
 おふくろの味への道のりは長いと決まっている。まずは週末の朝、ドリップしてカフェオレをつくるところから始めようか。