ごはん

 人間の器が大変小さいため、割と落ち込むことが多い。こうなると帰宅しても家事というものをほとんどしなくなり、買い置きの食材を使いきれないこともしばしばある。軽症のときはまだそれなりに腹が減るのでしょうことなしに手間をかけずに食べられるものをあさりだすが、やる気がないのでまず火は使いたくない。包丁も使いたくない。レンジと、せいぜい万能ばさみでちょこっと細工するぐらいがいい。そんなまず満足に料理ができなさそうな心持ちの中で、まずはごはんの有無を確認する。あればしめたもので、もうその日は丼によそってチンしたら適当に具を乗せて終了という究極ワンディッシュメニューに決定なのだ。具のバリエーションとしては、焼き海苔、生卵かけ、納豆、鰹節あたりだろうか。これら単品、あるいはあわせ技にした上で更に塩や醤油の味付け、ごま油やバターといった油分で変化をつけてなんとか回復するまで食いつなぐのだった。(他にも手のかからない食べ方があれば教えてもらえると私が大変喜びます)
 ところで、我が家には炊飯器というものがない。実家を出て数年、ごはんはずっと2号炊きの土鍋で炊いている。火加減が必要なため若干手がかかるし、うっかりすればお焦げを通り越して炭ができることもあり(2度ほど作ったことがある)炊飯器のようにとりあえず水につけてスイッチを入れればできあがり、というわけにはいかない。
 しかし、ちょっと考えてみてほしい。
 一仕事終えた夕方帰ってきて、今夜は豚の生姜焼きとみそ汁!あとお漬け物!なんて意気揚々としながら炊飯器を見ると電気がついていない。おそるおそる蓋を開けるとお水ひたひた。どう見ても炊きあがっていない。どうして!?待って、今夜の生姜焼きは!?生姜焼きにはやっぱりキャベツとごはんでしょ、お漬け物もごはんいるでしょ…!?と打ちひしがれようと炊けていないものは炊けていないし、わりとしっかり蓋のできる鍋がないことにはごはんは炊けない…。
 こんなことが起こったら、精神的にも、買い換えの懐的にも大ダメージすぎて私は間違いなく一週間は立ち直れない。このような「いつか来るがっかり」を考えると、割ることさえなければ必ず役割を果たしてくれる土鍋の方が安心というものだろう。
 土鍋を使っていると言ってもそんな理由で、あまりごはんの味というものには敏感ではない。一応少しだけ健康に気をつかって白米と玄米を1号ずつ混ぜて炊いてはいるものの、カップに1号ずつとって混ぜてそのまま半日以上浸水という大変ずぼらな炊き方をしている。もちろんいずれも無洗米仕様ではない。浸水時間さえしっかりとれば十分おいしく炊きあがる。と思う。
 一度ぐらい炊いてみたいのが、炊き込みご飯だ。今の季節ならたけのこご飯や豆ご飯が間違いなくおいしいだろうし、秋の茸づくしも捨てがたい。しかしおそらく焦げ付くであろうことと下ごしらえを考えるた時に、一気にハードルがあがってしまうのだった。混ぜご飯の美味しさと言うと細かい、けれど味の染みた具材にあると思う。しかし私はとにかくみじん切りという作業が大嫌いなのだ。不器用すぎて大きさをそろえて切る、ということができなず、またゆっくりできるほど心とお腹に余裕がない。ようやく最近、人参と玉葱に関してはちょっと知恵を使って割とそろえて切れるようにはなってきたけれど…。そう考えると、シンプルに豆ごはんぐらいならなんとかなるかもしれないので今が試し時なのかもしれない。
 こんなことを書いているとご飯が食べたくなってきたが、あいにく浸水中でまだ3時間程度しか経っていない。今夜は我慢して、明日の朝炊きたてを頂こうと思う。多分、いつものずぼら具材で。