味わう

 誰しも、グルメ番組を見ていた訳でなく、読んだおはなしや見た映像に影響を受けて何か食べたくなったことがあると思う。私がそんな経験をはじめてしたのは小学生の頃、国語の教科書に載っていた『ねずみのアナトール』というお話の中でのことだった。
 ネズミのアナトールは子だくさん、ある日入った家で人間たちがねずみの悪口を言っているのを聞き、チーズの味見をして人間の役に立とうと思い立つ。かくして夜な夜なチーズ工場の試食室に入っては、「とてもうまい」「まずい」等々の感想メモを残していくことに。アナトールの残したメモの通りに品種改良を続けた結果、チーズ工場は大繁盛…というおはなしである。
 このアナトールの試食シーンが私を虜にした。といってもアナトールは「とてもうまい」評価ばかりしていたわけではなくて、「すっぱい」と思ったり、「塩をひとつまみ入れること」なんてメモも残したりしている。しかしその感想自体、加えてそれらの評価メモが細いピンでとめられているというディティールも含めて、気になって気になって仕方がなかったのだった。ちいさなネズミがせっせと味見しては感想を書きぷすりと自分ほどの背丈のメモをピンで止めている光景のメルヘン加減もさることながら、小学生の私はむしろ単純にその味とその見た目にしてやられていたのだった。挿絵の功績も大きかったと思う。
 その憧れを抱いたまま大人になったのだが、雑誌に載っている写真や実際においしいものに出会う機会も増えたのに頭の中でイメージしたときに未だにこの「アナトール評価のチーズ」より美味しそうなものが浮かばない。しかも未だにブルーチーズ自体は買ったことがない。もうこうなってくるとこれはこれでいいような気もしてきていて、おそらくチーズのおいしいところにでも旅行しないと自分から食べる機会もないんじゃないかと思っている。所詮自分で買ったところで「アナトール評価のチーズ」になるわけではないし、いっそこのまま舌で味わうことなくきっと美味しいと思い込んだまま生涯を終えるような食べ物が一つぐらいあっても面白いのではないか、と。
 逆に食べたことがあるものの味がきちん分かってるかと言えばそうでもなくて、つくったものの何が足りないのかあるいは多いのか漠然としている。最近ようやく手抜きの後ろめたさを感じない程度に一人暮らしに慣れたので一品一品目メニューを作るようになってきたが、シンプルな素材に感動することが多い。
 例えば今週の感動の一つに豚バラの一口ステーキがあったのだけれど、これも以前なら最初から買ってきた肉をすべて酒と醤油につける、といった手段をとって他の野菜と一緒に蒸すなり炒めるなりしていたと思う。今回は買ったパックに小降りのステーキが5枚入っていたのをいいことに、1枚は塩のみ、1枚は醤油のみ、次は塩と醤油で…という感じで徐々に調味料を足すようにして、肉だけ焼くようにしてみた。結果、塩のみのときの肉の濃厚な味、醤油のみのときの香ばしさなど、今までなんとなく言葉の上っ面でしか知らなかった味がきちんと実感として自分の中にインプットされたように思う。百聞は一見にしかず、百読は一食にしかず、であった。
 別に食の評論家になりたいとは思わないけれど、この素材ならこの味付けが好き、というレベルで味わって食べられるようになる、というのが目下の私の野望である。