4週28日の入院を振り返ってみる(入院日)

10月23日(入院日)

午後9時頃、自宅近くのスーパーに行く途中で交通事故にあった。私徒歩、相手は車。
信号・横断歩道のない交差点をY軸マイナス方向から左側を歩いて渡ろうとしたところ、同方向からX軸マイナス方向に左折する車があった。このため、一旦立ち止まり、左折車が待ってくれていることを確認、更にX軸左右を確認したつもりであったが、X軸プラス方向から来た当該ワンボックスカーと接触した模様。
接触時、「はねられた?」「なんで?」と思いながら着地。ぶつかったと思わしきドライバーが「大丈夫ですか?」「すぐに救急車と警察呼びます」と迅速な対応。下肢に力が入らず動けない状況。この時点で反対車線付近まで飛ばされていることに気づく。どこからか親切な女性が二人ほど現れ、アスファルトでは頭が痛いでしょうとジャンパーを貸してくれたり、後でなくなると困るでしょうからと靴と眼鏡を回収してくれ、そして励ましてくれた。名も知らない通りがかりのお二人にはずいぶん助けられた。

程なくして救急と警察が到着。救急車に収容される。氏名、住所、生年月日等を確認。意識の混濁を見るためか、何月何日か問われ一瞬焦る。休みの日だからそんなもの覚えてはいない。ありったけの記憶を動員して金曜日の日付を思い出し、なんとか正解することができた。TPRBPの測定、疼痛箇所の確認。接触時点で思ったことは覚えている割にどのあたりで接触したか記憶がない。なんとなく嘔気がある気がしたのでそのように申告する。出血箇所にガーゼのみ当てられ、消毒しないのは医療行為に当たるからか?とぼんやり考える。搬送先も決まりそうにないしちょっとうとうとしとくか、と目を閉じると「タニモトさーん、できれば目は開けておいてください…」と起こされる。そうか、バイタルサインか、と納得。そういえば瞳孔の反応も確認された。
搬送先に職場近くの病院を挙げられ、老人介護施設がついていることしか知らなかったため驚く。するすると救急車は滑り出し、多摩川を越え、病院着。人生初の救急車であった。

レントゲン、CT、MRIをとる。検査台への移乗が痛くて涙目。画像診断後、レントゲン台に乗ったままの私のもとに当直医がずかずかとやっていきて「タニモトさん、入院だわ」と告げる。「脳は問題ないね。ただ、左の大腿骨、股関節近くの一番細くなっているところが素人の僕が見ても折れているように見える。ここが折れていると人工骨頭置換術といって5時間手術、退院するまで1ヶ月コースだね」。そうか、入院か。手術か。ええー…と困る前になんだか腑に落ちてしまった。痛いだけに諦めがついたのかもしれない。左脚だけなのか、とか、いくつか質問をした記憶があるが、先生は答えるたびに「大腿骨頚部骨折、人工骨頭置換術が必要で5時間手術」と繰り返し、大事な事だから3回言いましたを生でやられた格好になった。

別室に移され、アナムネ(入院後、様々参考にしたい項目アンケート)を渡されたので記入する。ADL(日常生活がどれぐらい自分で出来るか測る項目)を照らしあわせていると、更衣・整容・移動・排泄・入浴などすべて介助が必要な状況である。あまりの低さに笑えてきた。家族や知人への連絡について尋ねられるが、ちょろっと夜食を買いに行く程度のつもりだったので携帯を持ってきていない。救急当直の看護師さんの機転により、病院の電話を借りて実家に電話。幼少より電話番号が変わっていなくてよかった。最近引っ越して電話が変わりました、とかいう話だったら覚えられていた自信がない。母が出た。なんといったものか一瞬迷ったが、「あのー、残念なお知らせなのですが…交通事故に遭いました…はは…」と笑ってごまかした。当直の脳外の先生は手術だと言っているが念のため明日再検査するであろうこと、入院先の病院名を伝え、常駐先の電話番号を調べて明朝連絡して欲しい旨お願いした。母の声音は冷静ではなかったが、聞くべきことをちゃんと聞いてくれたので助かった。

ストレッチャーにもう一度移乗し病棟に上がる。「大部屋でいいかしら?」ええ、結構です。4Fの大部屋に入室、一番手前のベッドが当面のすみかとなるらしい。病棟のベッドに移乗する。病棟の看護師さんが丁寧に名乗って、「申し訳ないんだけど、決まりなので一緒に確認していただけますか」と差し出されたのは自社製品にもある転倒転落スコアシート。まさかこの年で使うことになるなんてね…はは…とうなだれつつ危険度Ⅰと判断、看護計画についても確認(疼痛コントロールとかなんとかあった気がする)してサインした。看護計画の用紙が、ワープロ打ちであるものの質の悪いコピーのような見栄えだったのが気になった。尿意が極まっていたので尿器をあててもらいなんとか用を足す。尻が器にはまると関節が痛い。折れているのだなあ、としみじみ実感した。
疼痛があるものの眠れないほどではなかろう、また脳外の先生に処方出してもらうのも面倒臭い、ととにかく目を閉じた。なんとか眠れたようだった。

***

今となっては診断も正しくついた状態なので先に書いてしまうが、大腿骨頸部は折れていなかったし手術も必要なかった。ただし、この脳外科の先生の誤診(というにはちょっとアレだな。専門外だったし大腿骨骨折「疑い」ぐらいの診断をつけてくれたとは思うので)は大変ラッキーな方向に働いたように思う。
あの時点で立つことは困難だったので帰されはしなかったと思うが、あの時点で「とりあえずなにもなさそうですが痛いようだったら一晩泊まって帰りなさい」ぐらいの言われ方だったとしたら、もうちょっと気合で動かそうとしていたかもしれない。動かしていたら、骨がずれて手術が必要になっていたかもしれない。
事故にあったのは不運であったが、被害や搬送先、診断についてはかなりラッキーだと思っている。退院した今でも、それは変わらない。

創傷の処置については予想したとおり、処置が決められていた。ここを参照してもらうと
第六条第一項(三)創傷に対する処置
創傷をガーゼ等で被覆しほう帯をする。
となっていたので消毒は行わなかったのだろう。

とりあえず最初の晩は痛いながらも平穏に過ごしたような記憶がある。喉元過ぎただけではないはずだ。
かくして、28日間の多くを過ごす440号室6ベッドでの生活が始まる。

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